ふたご・みつごママの妊娠・出産体験談
  kuniママのお話(1卵性 男の子の双子)
  〜出産 38週 チップくん 3,340g ・ デールくん 2,926g〜
チップとデール 〜妊娠〜

 私がチップとデールを妊娠したのが長男が3歳7ヶ月 次男が10ヶ月の時でした。
 病院へ、しかしエコーで見た映像は、今までの妊娠と明らかに違い、また流産?だめかもしれない!
 たまたま実家に帰った次の日出血、病院へ。
先生が「双子だよ!知らなかったの?」との言葉に、ビックリ。私の場合は一卵性の双子(一織毛膜性一卵性双生児)一人は元気。 でも、もう一人の心音が弱い為様子を見ながら 出血が止まらなければ、最悪全部おろさないといけない事など説明を受け、とにかく絶対安静!
 14週目にしてやっと母子手帳を2つ手にすることが出来ました。つわりもひどく、30分と座っていることも出来ず、周りが歪んで天井がグルグル回って、ただただ横になっているのが精一杯の日々の中、必死に長男の入園準備をしたのを覚えています。
〜切迫早産〜
 
 北上に帰ってきて ほっとするのもつかの間2ヶ月もしないうちに、26週でお腹の痛みが治まらず切迫早産で入院。
24時間の点滴が始まりました。が、点滴が合わず お腹の張りを押える為に、我慢しなければならず、1分間に12敵が限度 それよりも速度を早めると、激しい動悸と脂汗が出ました。ベットの上だけの生活、食事以外は横になって、歩けるのはベットのすぐ隣にあるトイレの時だけ。時間が過ぎず一日の長いこと。毎日付けていたいた日記も 点滴の影響で手が震え、字が書けなくなった日も幾度と有りました。
 お腹の子は成長すると共に、「胎児間輸血症候群の為(へその緒を二人で共有している)、バランス良く血液がお互いにいけば良いが、一人にばかり栄養がいけば、もう一人の子は栄養失調になり、早くお腹から出さなければ二人ともダメになる。」と言われ、油断が出来ない!
 毎日、祈る気持ちでいっぱいだったが、めげそうになった事も何度となくありました。
〜出産〜

 体もかなり重くなり、1時間として同じ姿勢でいるかとが苦痛になっていました。
 先生から、「十分赤ちゃんも大きい様なので、36週で点滴をはずしましょう。」いよいよお産!「しかし点滴でお腹の張りを強制的に押さえていた為に、リバウンドがあるかもしれない」と言われ、陣痛が来ては遠のくという事を3度も経験。今度こそと4日間陣痛に苦しみ、このお腹が破裂してしまうのではないかと不安と恐怖におそわれました。
 5日目に先生に呼ばれ、「母子共に精神的にも肉体的にも自然分娩は無理、帝王切開に切り替えましょう」と言われ、張り詰めていた糸が切れたように、涙が溢れ止まりませんでした。予定日より10日早くなっただけ。
 全身麻酔、気がつくと間もなく、看護婦さんが赤ちゃんを抱いて部屋に来ました。「男のお子さんですよ!チップ3340g デール2926g有りましたよ。チップの体重聞いて先生が、『えっ!もう一回量りなおしなさい』と言ったぐらいだったから、びっくりしていたわ」と聞き、私もビックリでした。この子らは何だ!普通の子と変わらないじゃないの。ちなみにお産前と緒産後の体重の差は13kg弱、お腹に抱えていたんです。主人に「10kg.のお米をお腹に乗せて寝ててみてください。私の気持ちが少しは解ると思います。」 
〜お産後〜

 胎児間輸血症候群の為にか、チップが血液が多すぎて顔が茹で凧状態、その反対のデールは黄色い血の気のない顔をしてました。私はお産が終わって2日目、38度の熱がでてしまい、お産疲れだろうと様子を見ることに。汗が次から次へと吹き出てきて、一晩中寝られませんでした。
 そして治まったと思ったらヘルペスができ、隔離され、外部からの人が部屋に入るときは、頭の先から足の先まで体中を覆って入り、私は部屋から一歩も出れず、小さい子供との面会も出来ませんでした。看護婦さんが気を使ってくれて、部屋の入り口まで子供達を毎日見せに連れてきてくれ、ベットから面会するだけだったけれど その心づかいがうれしかった。次第におっぱいも張ってきたが、初乳を搾乳しても捨てなければならなかったのはショックでした。
 1週間後やっと隔離もとかれ、子供と同室、直接母乳を上げることができました。
〜退院後〜

 二週間後、双子と共に一緒に退院。上の二人は北上の義理父母に預けたまま、私は双子を連れて実家に帰りました。しかし一晩にして13kgの体重の変化はおおきく、体が思うようにならず、子供の世話もろくに出来ない状態になり、寝てばかりいる日々が続き、見かねた母が、日中の3時間ほどボランテアの方を頼んで来てもらい、沐浴等手伝ってもらいました。
 また、チップとデールは夜鳴きがひどく、夜中の2時3時まで泣くのは当たり前、代わりばんこに抱っこをし チップがその晩夜鳴きがひどいとデールは寝て 次の日は逆のパターンで泣かれ、母が24時間体制で二人の世話をしてくれたので、ただただ感謝でした。
 1ヶ月ほどして 上二人も私たちの所へ来ました。私はめまい、立ちくらみ、嘔吐と最悪なコンディション、私の体どうなってしまったんだろう?この子供たちの母親になれるのだろうか?育てていけるのかしら?と不安になり毎晩のように泣きました。そんな時、長男が私のことを察知してか、自分から チップとデールの世話を手伝ってくれる姿を見て感謝、頑張る力を分けてもらいました。
〜北上へ〜

 北上に戻ってきてまもなく、チップとデールに異変が訪れました。特にデールの口の周りが赤くただれて、日に日に酷くなり、グジュグジュに うんだように黄色い汁がにじんでくるようになりました。病院へいくと、アトピー皮膚炎と診断され、最初一日おきにが2日、2日が3日、3日が1週間後、1週間後が2週間後と病院へ通い、3度の食事の後に私達でもかなり苦い薬を、泣きながら嫌がる我が子に無理やりスポイトで飲ませる日々が続きました。離乳食もチップとデールには自然食品だけで作り、ベビー石鹸や、衣類の洗濯石鹸にもこだわり、徹底していた時期もありました。
 それらの甲斐があってか、今では季節の変わり目に症状が若干出るくらいで治まっています。おかげでチップとデールは内科系の病院にはほとんど お世話になることも少なく成長してくれました。が、生傷は耐えませんでした。